僕が上場企業を辞めた理由 ⑧ 〜火花〜

最終更新: 2019年6月11日


このシリーズも8回目。

書き始めると意外に止まりません、笑。

ここまで通読いただいている方、ありがとうございます!


このシリーズを初めて読まれる方、

よろしかったらVol.1から是非お目通しくださいませ。

ブログのタグ「自己紹介」でVol.1から順番に読むことができます。

もしくはこちらからどうぞ!


あれこれ書いてきたので、この辺りでこれまでの流れをおさらいしておきますね。


会社員→ 体調壊す→ 休職→ 自己流食事療法

→ 野菜ソムリエ→ ホリスティック栄養学→ 酵素栄養学→ 予防医学


休職中の学びの二年間は、好奇心の赴くままにこんな感じでした。


キーワードは、「健康」「ライフスタイル」「栄養」「心」といった感じです。


ここに、この後登場するマインドフルネスが加わると

「幸せ」「自分らしさ」「自分」「自然」などのキーワードも加わっていきますね。


さて、


「ホリスティック栄養学→ 酵素栄養学→ 予防医学」


この学びの流れの中で、

心のあり方がとても大事だということを感じました。


「瞑想を始めたきっかけはなんですか?」


と、よく聞かれます。


その答えは、「栄養学」なのです。



答えは栄養

心のあり方が、食べたものの消化に影響を与えること。

きちんと消化したものが栄養として体内に吸収されること。


栄養において、心の状態が大切なことだとは、

それまで考えてもみなかったので、衝撃的でした。


通常、栄養と言えば、

何が足りていない、何を取りすぎているという

足し算、引き算の考え方やカロリー計算が主流だと思います。


ビタミンCが不足しているから、レモンを食べてとか、

牡蠣で亜鉛を補給して、緑黄色野菜でビタミンB群を補給してとか。


今日は夕方ケーキセット食べてカロリーオーバーだ!

昨日の夜食にラーメン食べてカロリーオーバーだ!


とか。


ホリスティック栄養学では、

もちろん何を食べるかの「食の選択」も大切なのですが、

その食べてる時の心の状態が大切だと考えます。


緊張している時のお腹が「きゅっ」となる感覚。

イラっとしてる時の胸が「ギュッ」と詰まる感覚。

リラックスしてる時の「ぐーっ」という空腹感。


誰しも経験したことがあることだと思います。

ストレスな状態で食べても体に良くないことは、

なんとなく体感としてお分り頂けるかと思います。


心と身体の繋がりを重視する

ホリスティック栄養学のカリキュラムの中で

食べる時、料理をする時の心の調え方として

瞑想という手法を学びました。


それまで瞑想というと宗教のことを連想してしまい、

あまり良いイメージを持っていませんでした。


90年代に起こったオウム真理教の事件をきっかけに、

宗教、とりわけ新興宗教に対して懐疑的な見方をしていて、

瞑想もその修行の一環のような位置付けで捉えていました。


ヘッドギアを付けた修行や薬物を使ってトランス状態を作ったりする映像を

目にする度に異質なものとして捉えていたのです。


「瞑想=危ないもの」という認識を持っていて

瞑想というものを受け入れることは難しく、

実践したり学んでみようと思ったことはありませんでした。


瞑想の本質を知らず、氾濫している情報に翻弄され、

色メガネで瞑想を眺めていたのですね。


ところが、健康について学んでいくうちに、心の在り方の大切さを知り、

心を調える方法として瞑想が有効であるということが段々と分かってきました。


初めて瞑想をやった時のことは今でもはっきりと覚えています。


それは、2016年2月13日、14日の2日間、

葉山で行われたホリスティック栄養学のリトリートでした。


土砂降りの嵐の中、葉山のリトリートセンターで、

30人ぐらいの方と一緒に呼吸を調えました。



嵐の中の瞑想


それは誘導瞑想の一つだったのですが、

目を瞑り、20分ほど座っている間に、

心の中に様々な色や風景が現れては消えていきました。


当時のノートを読み返してみると、







鼓動







と記されています。


これは、僕が瞑想中に感じたものを瞑想後にメモった内容です。

一言で表せば「自然」を感じた瞑想でした。


「自然」は、僕が最も大切にしている価値観の一つです。


瞑想後の参加者同士のシェアリングで出てきた他の人のコメントでは、

「安らぎ」、「静寂」、「愛」などがありました。


瞑想を通じて得られる感覚は人それぞれなのだなと感じました。


価値観「自然」

今では、集中瞑想や観察瞑想、思いやり瞑想を中心に実践するので、

このようにいくつもの映像が瞑想中に現れることはほとんどありません。


観察瞑想の時に、感情や思考が多少現れる程度でしょうか。


どのような意図を持って瞑想をするかで、

心の傾向が変わってくるということですね。

心の反応というのは、実に面白いですね。


たった20分、目を閉じて座っているだけで、

自分の思考によって色んなイメージがもたらされ、

今まで味わったことのないような不思議な感覚を覚えました。


同時に自分の中には

自分が知らないもう一人の自分がいるような感覚も覚えました。


「自分ってこんなこと考えてたんだっけ?」

「このイメージはどこからやってきたんだろう?」

「なんだか僕が考えたことじゃないみたい」

「ひょっとして自分の中にはもう一人の自分がいるのかな?」

「今まで自分だと思ってた自分は誰なのだろう?」


そんな疑問と興味がふつふつと湧いてきました。


体の中に穏やかなエネルギーが満たされていくようでした。

瞑想を終えると夢の中にいるような浮揚感があり、

しばらくぼーっとした感じがありました。


そして、家に帰る頃には土砂降りだった雨が上がり、

雲の切れ間から陽の光が差し込んできました。


帰り際、キラキラと輝く葉山の海を見ながら

何かずっしりと重いものが心の中に現れ

身体中に満ち満ちとエネルギーが溢れていく感じがありました。


この時感じた自分の中に火花が生じるような不思議な感覚は

今だに心と身体に残っています。


火花

この経験をきっかけに瞑想に対する見方が大きく変わりました。

怪しく遠ざけていた瞑想は、この経験を通じて一変に僕の興味の対象になりました。


自分の心のあり方に触れる感覚は、それまで自己流で行なっていた

振り返りと似たような感覚でもあり、新鮮味と同時に親近感も覚えたのです。


当時のことを色々と調べていたら、

リトリート主催者宛に感想をお伝えしたメールが出てきました。


以下はその抜粋内容です。

(2016年2月15日)


なんだか不思議な時間を共有させていただいた感じです。 テキスト化して表現してしまうと、私のエモーションはもうエモーションではなくなってしまうので、お伝えするのがなかなか難しいですが、すべてが新鮮であり興味深かったです。


(中略)

「あなたは誰ですか」

「あなたのほしいものは何ですか」

リトリート解散後もまだ私の耳には、瞑想での問いかけが残り、穏やかで静かなエネルギーが私の体内を満たしておりました。あの日は、一人になってからもしばらくそのエネルギーを全身の細胞に浸して過ごしました。


(中略)


普段は目立たない自分の中にあるピュアな自己が息を吹き返し、喜々としておりました。何なのでしょう。littleホンダならぬlittleイトウでしょうか、笑。


(中略)


精神と肉体が繋がっていると考えるホリスティック栄養学は、私が思い描いていたものとは違うものを見事に提示してきました。そして、私自身の取り組む目的にも変化が現れ始めております。自己のためではなく、健康をとり戻したいと考えている方々や健康に関心のある方々に何かできることはないかなと考えております。




こうして当時の文章を読み返していると、

この頃から「自分のため」ではなく「社会のため」にできることを考え始めたようですね。


元々の学びは、「自分の健康」のためだったのです。


それが学びのプロセスを通じて、

「自分の周りの人たち」に意識が移っていったのですね。


そのような意識の変化があって、今があると思うと、なんとも面白いものです。

自分の意識で、自分の人生というのは変わっていくものなのですね。


「そう、マインドフルネスで僕の人生は変わっていった」


未だにそのプロセスの渦中にいると感じています。


「この変化を味わい、今目の前で起こっていることをしっかりと経験し、

自分らしく生きていく。」


マインドフルネスが教えてくれたことです。


僕が上場企業を辞めた理由⑨ 目覚め へ続く

次号はいよいよマインドフルネスが登場しますよ〜(^○^)




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