僕が上場企業をやめた理由 ⑤ 〜2度の挫折〜

最終更新: 2019年6月8日


僕は小さい頃からアトピーの症状があり、

20代半ばまでステロイドを使用しておりました。


このステロイドは、ある意味「魔法の薬」です。

炎症箇所にステロイドを塗ると翌日には綺麗になっているのです。


小さい頃は、指の関節部分がよく赤切れになっていました。

小学校の時は地域のソフトボールのチームに入っていたので、

赤切れの状態だとボールを投げたり、

バットを握ったりするのが苦痛だったので、

ステロイドを塗っては、ソフトボールを楽しんでいました。



ソフトボール


大学受験の時も、

痒みで勉強に集中できない時は、

ステロイドのお世話になりました。


大学卒業後、社会人として働き始めた時、

ストレスを感じるようになり、

アトピーの症状が悪化し、

ステロイドの強度を上げていきました。


ステロイドは使い方を誤ると依存症のようになり、

使用しても薬の効果が弱っていってしまいます。

やがて、薬の強度を高めていくのですが、

いよいよマックスの強さのものを使用しても

皮膚の炎症が治まらなくなり、免疫力は著しく落ち、

高熱が続いたり、全身ヘルペスに見舞われたりします。


これ以上薬に頼って生きることは怖いと思い、

自分の体と向き合うことを選び、

当時働いていた会社を退職し、

20代半ばでステロイドの使用をやめる

いわゆる「脱ステ」をしました。


「脱ステ」は激しいリバウンドが伴います。

今まで薬で抑えていた症状が一気に吹き出してくるんですね。


体の中に溜まっていた「痒みのもと」が

「待ってました!」とばかりに

皮膚表面に向かって突撃して来ます。


頭、顔、首、肘の裏、膝の裏、陰部。

痒みの集中攻撃を受けます。


私はなす術なく丸腰でそれらの攻撃を迎えます。

できることは、ただ覚悟を決めることだけです。


全身が炎症に見舞われ、

歩くことやお風呂に入ること、

ご飯を食べることなどの当たり前のことが

痒みと痛みでできなくなっていきました。

辛い時期でした。


調べてみると医者がみんなステロイドを

使うわけではないことが分かりました。


ステロイドを使用しないで治療することで知られる

大泉学園にある藤沢茂樹先生の皮膚科にお世話になりました。


酸性水を身体に塗布したり、

軟膏はなるべく使わず皮膚を乾燥させたり、

ステロイド以外の薬を処方してもらいました。



医者


まだ、この時は自分で自分の身体を治すというより、

ステロイドを使わない医者に任せるという心構えでいました。


あくまで「脱ステ」が目的だったんですね。

だから、食事のことや栄養のこと、

健康全般については、ほとんど学ぶこともなく、

ライフスタイルを見直すこともありませんでした。


それでも若さ故か、

心のどこかで「自分はよくなる」と思って耐え忍びました。

この「脱ステ」は症状が落ち着くまで2年ほどかかりました。


これが1度目の挫折です。



藤沢先生の指導のもと、ステロイドを使わず

なんとか「脱ステ」を乗り切った僕は、

28才で社会復帰して転職し、

それ以降は鍼である程度症状をコントロールしながら、

社会人として生活をしておりました。


ところが、加齢のせいもあるのでしょうか、

東日本大震災以降辺りから、

また症状の悪化が始まりました。


前回までのブログでお伝えしたような労働状況が重なり、

いよいよ体調が悪化していきました。


ステロイドを使えば、楽になるのは分かっていましたが、

20代で経験した依存症による免疫力の低下を繰り返したくなかったため、

ステロイドには一切手を出しませんでした。


アトピーの特徴は、激しい痒みと搔き壊した後の炎症の痛みです。

夜中は痒みの為によく眠れず、睡眠不足になり、

仕事中には炎症の痛みに悩まされ、

注意力が欠如し自分でも許せないケアレスミスが発生しました。


上司や同僚にも迷惑をかけ、不甲斐ない想いをしました。

できている時の自分を知っているだけに、

できない自分を認めるのが辛く、

仕事に対するモチベーションは低下し、

自分で自分を追い込んでいきました。


「このままの自分を受け入れることはできない」

「これ以上迷惑をかけたくない」

「何しろ身体が辛い」

「楽になりたい」


という気持ちになり、私は会社に退職を申し出ました。


2015年の春、41才でした。

その時点で会社には15年間務めておりました。


社会人として最も成長できる30代を全て過ごしました。

様々な経験をさせてもらいました。

お陰様で上司や同僚、部下との関係も良好で、

満足のできる待遇をしていただいておりました。


良好な職場環境で、経済的にも不自由なく、

世間一般からすれば恵まれた生活を送っていました。

そのまま働き続ければ、将来的な不安もありませんでした。



良好な職場環境


正直、退職してそのような環境を手放すのは


「もったいない」


と思いました。


ですが、限界でした。


自分の心と身体は


「もうこれ以上は無理だよ」


とサインを出していました。


今まで見て見ぬ振りをしていた、

聞いて聞かぬ振りをしていた、

心と身体からのサインは、

赤信号を灯していたました。


「少し様子を見れば元気になって元のように仕事ができるようになる」


と、楽観的に考えられる余裕は私の中には微塵もありませんでした。

悩みましたが、覚悟を決めました。


2度目の挫折です。


「どうしようもない」


悔しさがこみ上げて来ます。


決算発表が終わった翌日に、

上司に事情を説明し退職願を手渡しました。

ある意味、苦楽を共にした上司に

不甲斐ない報告で、申し訳なさもありました。


退職願を渡した後、

管理部門の統括取締役と人事部長と上司と4人で話をしました。


すると、有難いことに

会社側からは退職するのではなくて


「体を休めて元気になって帰って来たらどうか」


と休職を提案いただいたのです。

ありがたいことです。


体調がおかしくなり、パフォーマンスが落ちている僕に対して

引き留めの声をかけてくれたのです。


そのような提案をいただけるとは思っていなかったので、

驚きました。同時に嬉しく感じました。


「今まで頑張って来た甲斐があったなあ」


と思いました。


そして、

「元気になったらまた戻ってこれたらいいなあ」


と思いました。


こうして、私はありがたいことに結果的に

二年間も休職をさせていただくことになったのです。


このような待遇をいただいたことに、

僕は会社には大変感謝しております。


そして、この二年間が僕にとっては

今まで経験したことのない学びの時間となるのです。


井の中に居た蛙が外へ飛び出したかのように

僕は今まで知らなかった世界を好奇心を持って体験していきました。


第二の人生の幕開け。

伊藤穣2.0が始まった感じでしょうか。


僕が上場企業を辞めた理由⑥ 〜体脂肪率-8〜へ続く


好奇心

Kokoronohatake by Mindfulness Project

©️2018 All Copyrights are reserved by Kokoronohatake MindfulnessProject